鋭いこころもあるし簡単なこころもある これも教え
動きながらこのこころをお前に教えている
動きながらも教えていただけるほどに、いつでも天のこころと繋がってるということと感じます
間違ったこころに 間違いのない心がある
その間違いに気づかないこころもある
その気づかないは すべて心
間違ったこころは、人の心の間違いに気づかない魂のこころかな?
でも、間違いに気づかない人の心があり、本来なら、間違ってるということを教えるこころだと感じます
でも、そのこころにも気づかないのは、人の心ということかな
お前は間違いに気づいている
その間違いをお前はこころに申している
この方は、間違った教えのこころに気付いて、天のこころにお伝えしてるのかな
間違えるこころとは、何かを教えてくださってるのかな
心は間違いではなくそのこころが間違い
そのこころ
こころが間違っている
これは、心は間違ってないよというそのこころは間違いだよという教えてくださってると感じます
それとも、自分の心に間違いはないと言う人のこころの中のこころが、間違いを教えないことは、間違いだと言うことかな
その間違いに気付く余裕が良い
その間違いに間違いはない
その間違いを指摘する心が間違っている
その間違いを指摘する余裕はすべてこころの余裕
これは、こころの教えに間違いがあることに気づくくらい余裕が良いということかな
そして、間違いを指摘する心は、おそらく何かの感情を持つだろうか
そう思うと、人の心ではなくこころの教えに気づく余裕が良いということかな
勘違いもある
恥ずかしい間違いもある
それもすべてお前の価値ではないか
こころの余裕に 更なるこころの余裕となる
この方は、間違ってしまう心も持っているけど、それに気づけるし気づかせていただいてるのかな
そうして感謝しているから間違いは間違いではないのかな?
だから、すごくありがたいと感じます
ありがとうございます