昨日 言われたこと
これがよかろう
パワハラのようでパワハラの言葉
叱るはお前の上司が叱る
役員から お前も一緒に叱られる
その叱る 他の流れを生み出しておろう
すべてはこころの仕業
その仕業に その権力を生み出すもの
そのものの心に その正すという心
昨日この方の発言が、パワハラとされ、役員に叱られたのかな?
上司も同様に?
ただ、それはこころのチカラが言わせたから、こころが何か仕掛けたのかなと思います
その理由は、権力で何かをする役員を正すために思います
しかし その判断を誤る以上に謝る心
この方は役員に謝ったのかな?
それとも役員、上司が?
それは判断の誤りなのかな
素晴らしい内容の中に その中身に感謝があろう
この方がこころに感謝してることかな?
それとも、役員がこの方に感謝?役員に感謝?
何かこころの仕掛けた会話の中で流れが変わったのかな?
それとも、本来ならパワハラではなく、その発言の中身や、その気迫から、本人のこころを正すことに感謝なのかな?
こころの教えに逆らうより、こころの中のこころの中のこころの動き
関わらないより関わるようにしてゆく
これがこちらのこころ
すべてこころに飛ばしておろう
お前は もう理解しておろう
この方は、自分の力を出しておらず、すべてこころの動きと感じます
自分の心の力もあるけれど、それよりこころのチカラがもっとあるんだと思います
その天のこころが決めた人に関わるのかな?
この方にはそのこころが伝わってると思います
その伝わるこころは、ここのblogの文章ではないのだなと思います
そのこころ
誤るは謝る心
そのこころは もうお前には関わらないという
これは、役員がこの方に関わらないと発言したことかな?
でもその心は違うと天のこころが教えてくれてると思います
誤ることではなく 感謝となろう
それだけ その判断が誤ってあろう
天のこころの発した言葉に対して、本来なら、役員は感謝するこころと思います
謝るということは、反省よりも更に感謝のこころを教わるのかなと思います
それは、天のこころだから、そうさせてくださるのかと思います
感謝するのは素直なこころに思います
それは何もないこころに思います
それが天のこころが作って下さった流れで、正す心に思います
ありがとうございます